言葉は私の友だちではない。だが音楽は友だちだ。
音や音階やリズムこそが私の友だちだ。
私は音楽を通して語る。
だからこそ私は一人で行動する人間になったのだろう。
自分一人でいることを好み、
めったに心のうちを明かさない人間になったのだろう。
言葉は私の友だちではない。だが音楽は友だちだ。
音や音階やリズムこそが私の友だちだ。
私は音楽を通して語る。
だからこそ私は一人で行動する人間になったのだろう。
自分一人でいることを好み、
めったに心のうちを明かさない人間になったのだろう。
特に感動したのは、後ろで演奏していたD.J.フォンタナだった。
私が振り返って "『Rip It Up』から始めよう "と言うと、
D.J.は "オー、イェーイ!"と言って、そのイントロを弾き始めた。
あの音楽、あのドラム・フィル、あのリズムを
聴けただけでも最高だったよ。
当時昔の曲もやらなければならなかったから、ピックはやめた。
ある日地下室に座り込んでこう思った。
「ヒューバートらしさを見つけなくちゃ。自分のあり方を見つけよう」と。
これだ、という音色を見つけなければならなかった。
『Youngblood』(2022年発表のアルバム)は
俺にとって断崖絶壁のような場所だった。
結末が解決されない短編小説のようなものだった。
まさに俺が薬物依存の時期にいた頃。
自己肯定感もほとんどなくひどく落ち込んでいて、依存と闘っていた。
どこか 演じてる感じがあって、自分の自然な本質とは違ったんだ。
だから奴(Professor Longhair)にはいつも
「そんなに激しく弾くな!ピアノが壊れちまうだろ!」って怒ってたんだ。
いいピアノが置いてある店があるって
友達を連れてくと どの鍵盤も壊れてて音がでやしない。
奴さんが弾いた後に行ったんだな。頭に来たねぇ。
バイオリンも2本持ってるよ。全然うまく弾けないけどね。
そもそも「弾いてる」って言っていいのかどうか(笑)
トランペットもあるし、サックスもフルートもある。
とにかく色々。何かの拍子にそういう楽器を使って、
音楽を違う角度から眺めることができるかもしれないからね。
マディは「何年もの間、学校には行かなきゃならない
ってことがわかっちゃいなかったんだ。
こいつはおれの犯した過ちのひとつだね」と言っている。
マディは第三学年までしか進級せず、
生涯読み書きがほとんどできないままだった。
テキサス州ハーンはレンガ産業の町で、誰もが働いていた。
街角の物乞いや歌手のために誰もが金をめぐんだ。
ブラインド・レモンも足繁くハーンに通い、
ウィリー・ジョンソンが街角でゴスペルを歌えば
ブラインド・レモンが隣の街角でブルースを歌う、
といったことを住人は記憶している。
レイヴォーンとは運と偶然が重なり、すぐに友達になったよ。
彼の深い知識、そして即興で毎回違うものを演奏しても、
決してリックのためのリックは弾かないという姿勢に驚かされたね。
どんなに複雑な演奏でも、彼が演奏するものには
常に感情的なつながりがあるんだ。
まあ(ブルースとゴスペル)どちらかを選ぶ必要はないんだけど、
でもそれが現地のやり方なんだ。
今でもそうなのかどうかはわからないが。
南部はすっかり様変わりしたが、
私が子供の頃はお互いに完全に分離していたんだよ。
今でも悪魔の音楽だと思ってるんじゃないかと思う。
ジミ・ヘンドリックスはたくさん聴いたし、
それに彼が18歳のときに会ってるんだよ。
俺の故郷のテキサスでね。
奴はリトル・リチャードと演奏していたんだが、
奴が辞めて俺が代わりにバンドに入ったんだ。
奴の家族全員を知っているよ。
弟は奴にそっくりでギターを弾くんだぜ。
少年期のデュアン・オールマンは生意気で攻撃的で図々しいタイプだった。
みんなに好かれるために尻にキスして回るような、
社交的な性格じゃなかったよ。
でも私は彼の素直さ、生真面目な性格を高く評価してた。
ユーモアのセンスもあった!
彼はスマートで賢い男だったよ。
有名なBlack Snake Moanの歌で「黒蛇」は
性的欲望のたとえだというのが通常の解釈だ。
しかしそれでは歌詞に説明しきれない部分が多すぎる。
ところが、黒蛇を「ブルーズ」と同じもの、
憂鬱の化身と読むと、全てが解釈できるのである。
彼(ロニー・ドネガン)はイギリス人だったけど、
バンジョーとギターの両方を弾くトラッド・ジャズのミュージシャンで、
あの手の連中はみんな、ブルースに入れこんでいた。
そしてブルースを売れ線にした
「ロック・アイランド・ライン」でね。
メンフィスのWDIA局がアメリカで唯一の
出力5万ワットの黒人向けラジオ局と称して、
125万人という潜在黒人マーケットに照準を合わせた
完全に黒人聴衆者向けの放送をはじめたのは、
1948年のことだった。
「お前もこれぐらい弾けたらスターになれるよ」
と言わんばかりの表情だったな。
演奏が終わって楽屋で皆でシャンペンで乾杯したんだよ。
2人の白人の凄い美人も一緒だったな。
そして彼(フレディ・キング)はリムジンで去っていった。
俺は手を振って見送ったんだ。それが最後だった。
我々はラジオ局へ行って「I'm A Lonely Man」を録音し、
マーキュリーの社長にテープを送った。
彼は「こんなクズを送ってくるな、暇はないんだ」
と言ってそれを送り返してきたよ。
二人ともすごく頭にきて、それでボブ・リオンズは
自分のレーベルを作ることを決心したんだ。
レッドベリーもブラインド・レモン・ジェファーソンと友達だった。
二人は第一次世界大戦前にディープ・エラムで会っていて、
レッドベリーはギターの一本弾きを伝授してくれたのは、
このかっての共演者であると認めている。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンは
僕の大好きなスライドプレイヤーだ。
彼のレコーディングされた音は別世界のようで、
それが録音されたという事実がただただ驚きだ。
美しい、心にしみる音楽なんだ。
どうしたらあんなに弾けるんだろうって思うね。
一番誇りに思うのは、憧れてきた人達の
仲間に入れてもらえたことだよ。
ジミーリード、ハウンドドッグテイラー、ジェフベック、
BBキング、フレディキング、アルバートキング、
数えきれないほどの人たち。
そして何よりジミと一緒に演奏できたこと。
あれは自分にとって特別だな。
祖母の家の向かいにボロボロのギターを持っている人が住んでて
その人に3コードのブルースを教えてもらった時に
「これだ!」って思ったよ。
それで自分のギターが欲しくなり新聞配達をやったんだけど、
それがミュージシャン以外でやった唯一の仕事さ。
俺はもう「こうあるべき」みたいな姿を
人から期待されても、気にしないようにしたんだ。
Jimi Hendrixと比べられるのは祝福でもあり呪いでもある。
だって俺は彼じゃないし、絶対になれない。
真似したいとかコピーしたいとかは最初からなかったよ。
リスペクトはあるけどね。
ジャズのメソッドを知ってたんだね。
スヌークス・イーグリンのCDを聴いて驚いたのは、
声と一緒で演ってる奴。凄いね。
フレーズがもう完全にモダン・ジャズだよね。
あんなことできるわけで、ビバップ寸前のレスター・ヤングとかさ、
ジャズに引き寄せて言えばあの辺まで行ってる人だよね。
俺がちっちゃなガキだった頃、
畑の向こう側に住んでいる女の人が
蓄音機を持っていたんだ。
彼女は俺たちをいつでも遊びに行かせてくれたから、
俺は蓄音機を昼も夜も聴いていたよ。
それから俺のばあさんの家にもひとつ買ったんだ。
既存の曲を作り替え、別の歌詞をつけたりするのが、
ブルースの伝統の中での曲を作る、ということだった。
そうした曲作りについての考え方は
他の様々な民族音楽と同様に時が経つにつれ、
近代的な音楽ビジネスの著作権という考え方と衝突し、
大きな改変を迫られる。
決定的だったのはポールバターフィールドバンドの
マイク・ブルームフィールドを聴いた時だったよ。
シカゴで65年か66年あたりだったかな。
彼の演奏とシカゴブルースに参っちゃったんだ。
ものすごいエネルギーだったよ。
歌に、何か訓練があったとすれば、
それは深く聴くこと。
オーティス・レディングを真似しようとしたり、
レイ・チャールズを聴いたりね。
特にオーティス。
彼の歌は深い存在感があって、その瞬間に生きているように歌う。
ただ歌詞をなぞるのではなく、
感情を再体験してるんだ。
俺みたいにブルースに棲みつかれたって人が
もしいるならさ、どんな気分かよくわかるよ。
どうにもならないような気分そのものだからな。
どっち迎えばいいか、何すりゃいいのか、
あのブルース。説明つかんな。
グラハムは、ジョン・メイオールもそうだけど、
ズート・マネーを見つけてくれた素晴らしい人だった。
彼はいつもそういうことが得意だった。
エリック(クラプトン)のことを最初に教えてくれたのも彼だしね。
彼はシーンで何が起こっているのかよく分かっていたよ。
鋤を担いでいる時も、綿を摘んでいる時も、
おじさんのきれいな声が聞こえた。
たいていはお日さまが空高くのぼっているだの、
嵐の雲が集まってきただの、長く辛い一日だっただの、
仕事が終わった後のメシがどれほどうまいかだの、
そんな歌だった。
彼(ジェフ)は信じられないほどシャイだったよ。
BBキングやアルバート・キングのようなギタリストが出演すると、
「僕なんか、出られないよ」って言って、
自分の実力が足りないと思って姿を消してしまうんだ。
ロッドもそうさ。
「俺はアンプの後ろで歌うよ、シャイだから」なんてね
自分のスタイルは何なのかを、自分に問いかけてみるんだ。
僕はB.B.キング、アルバートキング、そしてバディガイから学んだ。
みんな同じような場所からスタートするんだ。
でも、最終的には「俺がやっていることって何なんだ?」と
自問することになる。
そうすれば答えが見えてくる。
“まっさらな状態に戻す”ってことは、僕はすごく好きなんだ。
結局のところ、“音楽が求めてる方向に進む”ってことだと思う。
ちょっと抽象的な答えだけど、
自分の得意な領域だけにこだわるべきじゃないし、
ひとつの音楽スタイルに縛られる必要もない。
彼はとても博識で、自分が何をすればいいかを知っていた。
盲目であること、黒人であること、南部であること、
彼には多くの不利な点があったが、
彼の歌詞からは彼が人権感覚に優れていて、
いかに挑戦的だったかがわかる。
とにかく私は人生を売り渡さなかった。
私は自分が楽しめることをやり続け、
人々の心に触れることを願っている。
私はみんながやっているからといって、
それと同じことをやろうとはしなかったんだ。
従順なイイコチャンだったことは一度もないんだ。
畑仕事中に何を歌ってたかって、大抵のものは忘れちまった。
いつも『満足いかねえ、心の中はグチャグチャだ』
って歌ってたことは除いてな。
いつもこんなのを歌ってたんだ。
感じたことをそのまま歌ってたんだからな。
ジミは最も偉大なギタリストだ。本当にそう思ってたよ。
彼はファンタスティックで、背中で、股の間で、
そして頭の上で演奏してた。
ほんとに素晴らしい奴だと思ったよ。
いま彼がここにいないからそう言っているんじゃない。
彼がここにいたときにそう言っていたんだよ。
4~50年代メンフィスには音楽があふれていた。
当たり前に思っていたけど実は特別なことだった。
路上で歌うブルースシンガーに魅せられた。
どこでもセッションをやってて
誰もが酒とギターを持ってふらりと現れた。
ただ演奏を楽しむ為にね。
ギターを弾きたいと思うようになったきっかけは、
エルビス・プレスリーの「Baby, Let's Play House」のレコードだった。
当時「ロックンロール」という言葉は汚い言葉だったんだよ。
どのメディアも流していなかった。
ブラインド・ブレイクは基本的にラグタイムのギター奏者だ。
それでいてChump Man Bluesみたいなのもある。
キーDのブルースだ。
CやGで弾くものほどすごくはないが、バハマ出身の
ジョセフ・スペンスに迫るような音を聴かせている。
経験も大切だけど、好きなプレイヤーを真似するだけじゃなくて
もっと深く研究しなきゃだめだ。
自分の尊敬するプレイヤーが誰を尊敬していたのか、
誰から学んだか、そこまで辿っていかないとね。
そうしないと演奏が浅くなって皆同じようなものになる。
サム&デイヴの曲を作ってる時だ。
アイザックがリフをやって、そしたらデヴィッドがトイレに行った。
それが長くてね(笑)その時の会話さ。
「おいデヴィッド」「待ってろすぐ行く(Hold On, I'm Comin')」
そうやって曲ができた。
大ヒットするとはな(笑)
ブルースの基本というのは、ぼくにとっては土なんですよ。
大地の上で生きることが、ぼくにとってはブルース…
なんかエラいこというてるな(笑)。
マディ・ウォーターズなんて泥水ですから、水と土で育つんや。
なにか関係あるんですよ。
まじめな話、速く演奏しようとしたことはないんだ。
「キャプテン・スピードフィンガー」なんて呼ばれていたけれど、
本気にはしていなかった。
ジャンゴ、バーニー・ケッセル、ジョン・マクラフリン、ジョー・パスなど、
僕より速いギタリストはたくさんいたもの。
あれはマーティン・ルーサー・キングが暗殺された日の夜だった。
大きな帽子を被った少年がテープレコーダーを持って
ふらりとステージに上がってきた。
アマチュアのカメラマンがその様子をビデオに撮っていたんだ。
場所はニューヨーク。
みんなジミ・ヘンドリックスだと叫んでいたよ。