ん~ モードっていうより 塊なんだよ
旋法、つまりモードなんだけど
ある中心音に向かって節が動く
そうしないと間違いなんだよ
そこにドミソ(和音)っていうのを
どうくっつけるかっていうんで
いろんなブルースの形ができたんだ
だからアルバートコリンズのような派手なギターを
売り物にする人がロックファンにも知られ
世界的な人気を得る一方で
ボーカルひと筋のボビーブランドなどは
南部を中心とした黒人のコミュニティでは大スターだが
それ以外で大きな人気 知名度を得ることがない
いつだって自分はミュージシャンなんだって思ってたさ
クラークスディルでやっていた仕事やその他諸々あったけど
こんなのはただ一時的なものだ
もしその時に俺がいいミュージシャンじゃなかったにせよ
遅かれ早かれ なってやるって思ってたんだ
メリーゴールドの住人たちの証言によれば
パットンは1924年から30年にかけ
その土地に住んでいたというが
この時期ドッカリープランテーションで
彼に会ったミュージシャンもいた
多分彼は色んな女たちと色んな土地に住んでいたか
もしくはどこに落ち着くこともなかったのだろう
ブルース衝動 つまるところアフロアメリカンの音楽伝統は
かなり幅広い音楽的表現のなかに保ちうるということをジャズは証明した
ビッグバンドジャズが示したのは、ブルースというものが
アメリカ特有の表現として存在しうる
また商業的にも使いみちがあるということだった
フレディ・キング、B.B.キングやアルバート・キング、どれも好き
彼らのスタイルを学び マディウォーターズやバディガイの曲を練習したの
本当にのめり込んでアミリ・バラカの『Blues People』という本まで買ったわ
自分のルーツがここにあると思ったからよ
私は相変わらずジミー・リードに夢中で
常にシーブリーズで聴くアルバムを2,3枚持っていた
私にとっては記憶に残る天才 偉大なミュージシャンだった
おそらくあまりに完成度が高かったせいで
生存中は筋金入りのブルースファンにも
正当に評価されなかった
キング牧師が暗殺された時
スタックスには黒人も白人もいた
暴動の時はアイザックたちが白人メンバーに付き添って
スタックスに出入りした
白人は襲撃される可能性があったからね
「こいつらは仲間だから手を出すな」と頼んでたよ
ストラトはもうひとつの腕で 僕の一部なんだ
ギターという感覚は全くない
声を再現する道具なんだ
レスポールはギターのように感じられるけど
他人と同じような演奏になってしまう
ストラトは瞬時に自分のものになる
結合したというか 僕に溶け込んだというか
そんな感じだ
僕の作曲スタイルは ブルースのシンプルさから多くを学んでいる
ブルースの言語はほとんど会話のように自然で
だから常にシンプルであることを心がけてる
歌詞のタイトルから生まれることもあれば
コードから歌が生まれることもある
きっかけは本当にさまざまだけどね
『レイジング・ブル』(1980年)でスコセッシと仕事を始め
それ以来、彼の映画のほとんどで音楽を担当してきた
毎回 "大変だ、私にできるだろうか "とプレッシャーを感じるよ
毎回 毎回 でももちろん彼との仕事は大好きだ
既存の曲を作り替え 別の歌詞をつけたりするのが
ブルースの伝統の中での曲を作る ということだった
そうした曲作りについての考え方は
他の様々な民族音楽と同様に時が経つにつれ
近代的な音楽ビジネスの著作権という考え方と衝突し
大きな改変を迫られる
シカゴに出て来てマディを探してたら
彼の方がから俺に「お前がコットンか?」ときいてきたので
「そうだ」と答えたら、「俺がマディだ」
でも俺はずっとアーカンソーに住んでたから
彼の顔を知らなかったし 言ってやったよ
「俺がジーザスクライストだ!」(笑)
エレキギターを手にしてから
リフやソロを学ぶことが大事なことが分かったの
ヘンドリックスやクラプトン
そしてもっとモダンで有名なギタリストたちにも
夢中になったんだけど
結局その多くのリフはブルース由来だと気づいて
だから逆にさかのぼって勉強したのよ
北海道の大谷会館でライブやったんですよ
スリーピージョン・エステスと一緒に回った
スリーピーが最後終わって立ってまだ若い奴が何人かね
ライブ終わっても席立たない 呆然として
それでね物凄いものを感じた
自分らは違うから日本語でやろうと
10歳の頃に観たオーティス・レディングやB.B.キングとか
強力なメンツのライヴだったよ
オーティスのステージが終わって
俺も兄貴も魂が抜けてしまった感じだった
それがキッカケで兄貴はギターにのめり込んでったし
俺も音楽の事しか考えられなくなった
どれがブルースでどれがブルースじゃないか
決めつけるのは難しい
私はブルースマンと言われることになんの異論もないよ
もし誰かがそう呼ぶのなら 実際そうなのだろう
しかしどう呼ばれようとも
私は自分のやることを感じていたいんだ
ダラスで演奏しはじめたときはまだ14歳だったけど
夜の10時から朝6時まで演奏してたよ
1セット1時間で3バンドか場合によっては2バンドが演奏していたな
それぞれのバンドがきっちり1時間演奏すると
次のバンドがやってきて 同じアンプに繋いで演奏するんだ
畑仕事中に何を歌ってたかって 大抵のものは忘れちまった
いつも『満足いかねえ、心の中はグチャグチャだ』
って歌ってたことは除いてな
いつもこんなのを歌ってたんだ
感じたことをそのまま歌ってたんだからな
最初にレモンに会ったときにはメガネはかけていなかった
気の回りそうな若者がガイド役をしていた
全盲ということになっていたが少しは見えていたと今でも思う
そうでないとしたら まあよく周りのことがわかるものだわ
あの男ったら
悪魔に魂を売った人間がいるとしたら
それは麻薬を売って百万ドルも稼いでいるような奴だよ
みんなが彼(Robert Johnson)に貼ろうとする
レッテルが気にくわない
彼はブルースミュージシャンだったよ
ほかの仲間たちと同じような
とてつもない存在だった
ブラインド・ブレイクは素晴らしいタッチをしていた
演奏はおだやかでギターを強く弾きすぎることがなかった
シンコペーションもいい感じだった
彼は南部のギーチー地方出身で
あの連中は歌にいいリズム感覚をもっている
若い頃はビッグスターになって大金を稼ぎたかった
でも 夢と現実は決して一致しないようだ
そこに到達したら ただ楽しむだけじゃ済まない
責任も重く プレッシャーも大きい
そして時には酒やドラッグに走ってしまう
でもそれで楽になることなんてないんだ
気合の入ったブルースを歌うには
「教会に行って、こいつを自分のソウルに焼き付けなきゃならない」
とマディも後に言っている
オークリッジ教会が与えてくれた「おれの最高の唸りと震え」が
マディのブルースを豊かにし ディープにしたのだ
デュアン(オールマン)はいつも女の子を狙ってて
常に女がいた 女に困ることはなかった
もちろん1人の彼女ができると一緒にいようとはするんだけど
ちっとも続かなかった
彼は動き回るのが好きで いつも他の女を探していた
あんまり家庭的なタイプじゃなかったな
経験も大切だけど 好きなプレイヤーを
真似するだけじゃなくてもっと深く研究しなきゃだめだ
自分の尊敬するプレイヤーが誰を尊敬していたのか
誰から学んだか そこまで辿っていかないとね
そうしないと演奏が浅くなって
皆同じようなものになる
夢を持ってる人間がいるじゃないですか?
それは往々にして我儘だとか自分勝手だとか
言われがちじゃない?
自分の好きなように夢を追うっていうのはさ
だけどそういう自分勝手で我儘な奴って
人類の進歩に多大な貢献をしてきたと思うんだよ
エリックがレスポールとマーシャルの組み合わせを
使っているのを聞いたんだ
彼はブルースをエッジの効いた攻撃的なトーンで演奏する
僕たちが知っているロックギターを発明したようなものだ
それからジェフ・ベックとピーターグリーンを聴いて
そこからすべてが始まったんだ
とにかく 俺はどのインタビューでも ブルースプレイヤーとして
カテゴライズしないでくれと言い続けてる
「スウィート・ホーム・シカゴ」とか 名曲とされてるブルースが大嫌いだ
(ストーミーマンデイは?と聞かれ)あれもシットだ!