もし僕にブルースがうまく歌えているとしたら それは
「自分が1930~40年代のミシシッピの綿花畑で働いていた黒人だ」
と装おうとしていないからかな
僕はそうではないし 無理に装おうとは思わない
でもある種の共鳴を感じることはできる
もし僕にブルースがうまく歌えているとしたら それは
「自分が1930~40年代のミシシッピの綿花畑で働いていた黒人だ」
と装おうとしていないからかな
僕はそうではないし 無理に装おうとは思わない
でもある種の共鳴を感じることはできる
まっさらな状態に戻すってことは僕はすごく好きなんだ
結局のところ“音楽が求めてる方向に進む”ってことだと思う
ちょっと抽象的な答えだけど
自分の得意な領域だけにこだわるべきじゃないし
ひとつの音楽スタイルに縛られる必要もない
無茶苦茶に疲れてる時があるだろ?
そういう時に一杯ひっかけて演る
何故なら我々の仕事っていうのは
人々を楽しくさせる事だから
彼らはおれ達を見に来る為に金を使ってるわけだから
自分に活力を吹き込まなきゃならないわけだ
わかるかい?
17歳になって美術大学に行ったんだ
その間も夜はブルースクラブでジャムってたよ
その頃はブルースが流行り始めていたから
シリル・デイヴィスの前座バンドとよくジャムってたよ
そのうちレコーディングに誘われ昼間は美術大学に通いながら
夜な夜なスタジオに通っていたんだ
歌に何か訓練があったとすれば それは深く聴くこと
オーティス・レディングを真似しようとしたり
レイ・チャールズを聴いたりね
特にオーティス 彼の歌は深い存在感があって
その瞬間に生きているように歌う
ただ歌詞をなぞるのではなく 感情を再体験してるんだ
「Play Music on the Porch Day 」というイベントがあって
私はポーチに座ってその曲をワンテイクで
演奏してYouTubeにアップしたの
何も考えてなかった
でも1年後にTwitterの Blues Harp Amps アカウントが拾ってくれて
バズって そこからすべてが変わったのよ
俺たちはみんな土曜の夜のダンスで演奏をしたんだけど
そこにあのぼうやがいつも来ててね
それがロバート・ジョンスンだったんだ
あの頃はまだ小さくてね
ハーモニカを吹いて見せて
それがけっこううまかったんだけど
本当はギターを弾きたがってた
彼はとても優しい男だった
亡くなった夜、ロニー・スコッツの店から
女の子と一緒に出てきたんだ
私は彼を追いかけて叫んだんだ
”おーい、ジミ、おやすみ!"ってね
翌日それを知ったとき私は涙が止まらなかったよ
信じられなかったよ
父や友人たちと家でポーカーをしていたら
国際番号から着信があったんだ
知らない番号には出ないようにしてるから
留守電にしてたんだけど クラプトンから
「エリック・クラプトンです、これはデマではありません」
という留守電が入っていたんだ(笑)
ディッドレイ・ボウは弾いたよ
当時はまだ若かったから壁に向かって演奏していたよ
昔は釘を壁に打ってそれに弦を張った それだけのものさ
でもミシシッピではずいぶん昔の話だよ
淋しいなあ思うときに
淋しいなあいう言葉出されたら楽になるんですわ 人はね
ゴスペルとかでもそうですやんか
そういうある言葉出しただけで楽になる
ちょっと元気も出てくる
だから きれいごと並べただけの歌じゃない
いうのがブルース
彼が誰を聴いていたのかは知らないけれど
エディ・ヴァン・ヘイレンを初めて聴いた時さ
練習を再開するきっかけをくれたのは彼だったよ
エディのソロを初めて聴いて
"おっ、ギターを取り出して練習しなきゃ"と思ったんだ
1937年あたりかな
ロバート・ジョンソンってのが登場したのを
人づてにきいて知った
あいつはサン・ハウスに教わってたんだ
ほかのやつらとは違ってた
おれたちがスローテンポでやってる曲を
ジョンソンはアップでやったんだ
私はいつもスタイルにとらわれないようにしたいと思ってきたよ
実にさまざまな音楽が好きだからね
チェット・アトキンス、スコッティ・ムーア、チャック・ベリー、
ジャンゴ・ラインハルト。ウェス・モンゴメリーも好きだよ
そういった人達から影響を受けている
あれが一番よかったと思う
でも僕らにはシンガーがいなかった
僕は今でもあれにレッド・ツェッペリンの
青写真があったと信じている
ペイジ、私、ニッキー・ホプキンス、
キース・ムーン、ジョン・ポール・ジョーンズ
でも、みんな他に先約があったんだ
残念なことだけど
当時のレコーディングは 特にEMIでは
ボスと労働者・・労働者がミュージシャンでね
コントロールルームに上がることさえ殆どなかったんだ
階下にいて彼らはコントロールルームにいる
時々、彼らがでかいタンノイのスピーカーで
録音を聞かせてくれる程度さ
そんな感じさ
ピーター・グリーンは楽屋から出てきて
「君の演奏が本当に好きだ、ホテルに戻って話をしよう」
と言ってくれたんだ
それから何時間もジャムってね
その後 彼は当時のマネージャー クリフォード・デイヴィスに話をして
イギリス行きに協力してくれるように説得してくれたんだ
ああ 当時は聴けるものは何でも聴いていたよ
そして聴いたらそれをプレイしてみるんだ
ルイス・ジョーダン?
ルイス・ジョーダンの曲は全部知っていたかもね
とにかく聴けるものは全部聴いていたさ
さっきも言ったが コマーシャルはやりたくない これが答えだ
シリンガーの教則本を読んでアレンジも勉強している
ぼくのギターが響きわたるようなバンドが欲しい
レイ・チャールズのバンドが
彼のピアノをフィーチャーしているようにだ
(B.B.キングがマクドナルドのCMに出ているのについて)
ばかばかしい!(笑)B.B.のおっさん!いいさ、いいんだけどな
俺は奴が大好きだよ!だけど奴はきっと食べないと思うぜ!(笑)
McDonalds Australia commercial 1995 featuring Nathan Cavaleri & BB King
たぶん母と父がロックやブルースに夢中だったからかな
両親は週に3、4回はフリーやツェッペリンなどの
ビッグバンドを観に行っていたし
家の中はたくさんレコードが転がっていて車の中では
いつもフリーかレッド・ツェッペリンがかかっていたの
私の両親はいつも音楽を流してて
主にソウルやファンク、モータウンとかね
だからブルースは聴いたことがなかったの
でもモチーフやリフは耳にしていたので
いろいろ調べるうちに最初に出会ったのがフレディ・キング
「Hideaway」を聴いてすぐに夢中になったわ
いつだって自分はミュージシャンなんだって思ってたさ
クラークスディルでやっていた仕事やその他諸々あったけど
こんなのはただ一時的なものだ
もしその時に俺がいいミュージシャンじゃなかったにせよ
遅かれ早かれなってやるって思ってたんだ
レコード店に置いてあった唯一のアルバムが
『I'll Play The Blues For You』で 何年もこれに合わせて練習したよ
ギターだけじゃなくアレンジにもグッときてね
70年代にスタックスから出てるから
アル・グリーン風のソウルっぽい感じもあるし 最高だよ
どうしたら厚かましく Voodoo Chileをやれるんだと言う奴もいるけど
ちょっと待てよ ジミの音楽をやるのが冒涜的だってプレッシャーは
彼ではなく他の人たちから出ているように思えるね
ジミは他の奴らが彼の音楽をさらに発展させてくれる
ことを望んでいると思うね
Stevie Ray Vaughanはブルースを演奏しながらも
ヒット曲も書いていて それがまたクールなんだ
The White StripesのJack Whiteも 今同じことをしている
彼はコンサートでサン・ハウスの曲を演奏するが
多くのファンはそれが何であるか分からないだろう