面白い事をするのと音楽とに何のへだても無かったなぁ
「朝起きたら女が居ない、どうしよう」
といった地味な内容を唄いつつ笑い飛ばす
それを聞いた人も「俺もそうだがどうした」とか云いながら
エンタテイメントとして楽しむ
なんか良いじゃないですか
面白い事をするのと音楽とに何のへだても無かったなぁ
「朝起きたら女が居ない、どうしよう」
といった地味な内容を唄いつつ笑い飛ばす
それを聞いた人も「俺もそうだがどうした」とか云いながら
エンタテイメントとして楽しむ
なんか良いじゃないですか
ルイ・ジョーダンにはインスピレーションを受けたな
それがきっかけで作曲を始めたんだ
ナット・コールの歌は俺が歌い始めるきっかけになった
ナットの歌はベルベットのような声だった
ナットのような声で
そしてルイジョーダンのように歌いたかったね
17歳になって美術大学に行ったんだ
その間も夜はブルースクラブでジャムってたよ
その頃はブルースが流行り始めていたから
シリル・デイヴィスの前座バンドとよくジャムってたよ
そのうちレコーディングに誘われ昼間は美術大学に通いながら
夜な夜なスタジオに通っていたんだ
サム&デイヴの曲を作ってる時だ
アイザックがリフをやって そしたらデヴィッドがトイレに行った
それが長くてね(笑)その時の会話さ「おいデヴィッド」
「待ってろすぐ行く(Hold On I’m Comin’)」そうやって曲ができた
大ヒットするとはな(笑)
ピーター グリーンはセルマーのアンプをレンタルしてたよ
当時セルマーのアンプはあまりクールだとは思われてなかったけど
彼がこのアンプに直接つないで、All Your Loveの最初の1フレーズを弾いたら
信じられないようなトーンでね
みんな打ちのめされたよ
言葉が結果 嘘になってしまってもそれは罪じゃない
だって誰かが自分にその言葉をくれた瞬間の思いは
決して嘘では無いから
人は毎日変化するから 心変わりは仕方ない
永遠なんてどこにも無いから
私たちは一瞬一瞬を輝いて生きられる
まあ話せば長くなるんだけど
その子はナイフを持って追いかけてきたさ
(ギタリストとしてキャリアをスタートさせたが
1940年代にアーカンソー州ヘレナで
コーラスガールとのナイフファイトで左腕の腱を負傷)
立ち直るのにかなり時間がかかったね
それでギターをやめてピアノを始めて
長い間片手で弾いていた
他の人が両手で弾くよりも上手いと言われたよ
だって こんなにきらめく珠玉のメロディラインの
すべてを弾けたんだから
とてつもないシンコペーション
親指をこんなに強く動かし続けられるなんて
彼("Blind" Willie Johnson)はすごい
つまり ただただすごい
ロニーも間違いなくブルースマンなのだが
ブラインド・レモンが左に曲がったとすれば
ロニーは右に曲がっていった そんな感じだった
ブラインドレモンがナマのままであるとすれば
ロニーはもっとまろやかで もっと洗練されている
一説には決まり文句の歌詞を頭の中の引き出しから
即興的に取り出して唄う訳ですが
ちょっと時間を稼ぐために同じフレーズを繰り返してですね
その間にじゃあ3行目はこんな感じでいこうかと
そういうやり方をしてるんじゃないかという考え方があります
ヴェンダースにはブエナ・ビスタもあるし
本当に音楽好きなんだね
埋もれていた途方もない才能のミュージシャンが発掘されて
ニューヨークまで連れていかれて
あれもフィーリングはブルースマンだもんね
19歳の頃、ディックウォーターマンと一緒に
ブルースマン達の溜まり場に居合わせたことがあるの
フレッド・マクダウェルが出番前にジンを2本飲むとか
ソンハウスが出番の1時間前にウォッカを1本飲むとか
でもそれ以上飲むと歌詞を忘れちゃうとか
いろんなことを知ったわ
そのときの気持ちを絶対忘れないから
ひとりこっちを向いてくれただけでどんなに嬉しいかって
チラシ1枚配って ゴミ箱に捨ててあったそのときの
悲しい思いとかすごく覚えてるから
一音一音もの凄い根性で弾いてる様に見えた
見る見る汗だくだ
中々良いなとは思ったがしびれるって程では無い
だが何故か後々まで忘れられない感じ
何なのかなぁ
これが初めて見たブルースマン「フレディ・キング」なのでありました